茅葺きの民家がまた一つ姿を消していました。
先日、たまたま自転車で寄り道ついでに周遊していましたら、びっくり。
茅葺きの民家-その2で紹介していた、おうちが建替えられてしまっていました。
しかも、よりによってメーカー住宅で…、あまりのショックで鳥肌が立ちました。
嘉永4年(1851)築でしたから、161年もの歴史ある建物があっけなく、
今どきのサイディングの建物に変わっていました。
かろうじて、隣接の蔵は残されていました。
残念ですが、傍観することしかできないですね。
新しい住まいが、新たに100年を超える歴史を刻むことができるよう
お祈りするしかないですね。
しかし、メーカーの型式工法では、もう在来技術では関われない…。
メーカーの囲い込みの中で維持管理されていくことになるのですね。
いやー、とても残念です。
解体前に、詳細記録・実測あるいは移築を視野にした資材保存など
行われたのでしょうか、とても気になります。
実測させていただきたかった。。。
古民家の仕様を生かした、長期優良型への改修の道など
いろいろな検討ができたような気もします。
街の持つ歴史や文化、風土からくる地域性、そして家族、
これらを形にしながら暮らしを築くこと。
住まいづくりの重みを改めて感じました。
by S.小野
« 日々勉強です。それからリフォームセミナーのご案内 | トップページ | 4月があっという間に駆け抜けていく… »
「川崎区内 愛すべき街かど」カテゴリの記事
- 昭和マーケットが消える…(2022.06.12)
- 川崎の同潤会戸建て住宅の続報…(2020.04.11)
- 茅葺きの民家がまた一つ姿を消していました。(2012.04.07)
- もしかして、同潤会現存のひとつか(2011.11.02)
- 車寄せのあるビル(2011.10.23)
コメント