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関東大震災の復興事業の一環として発足した同潤会は、
広域分布する罹災者への対応を画策し、
横浜市内に4つの賃貸普通住宅を計画しています。
そのうちの一つである大岡住宅のあった場所を歩いてきました。
というか、
割と近くで木造のお住まいの耐震改修リフォームのお手伝いをしていることもあり、
ちょっと寄り道してきたといったようなものですが…。
このクランクした道の向こうが対象エリアです。
バス停に「大岡住宅」の名が残っています。
奥へ道が延びていますが、縁石が立ち上がっており、ガードもあって
車は進入禁止、大きな桜の木もあり、接道の扱いがどうなっているのか、
古い街路となっていることがわかります。
対象エリアの中心部です。
最近舗装されたのかなと思われる黒々したアスファルト。
宅地と道との境界も分かりにくい感じ、、、通過交通が制限されていて、
(行き止まり路地などもあり)
樹木も残され、生活空間は守られているように感じました。
外部からの進入口は小さく、中心に向かって広がっていくような構成です。
この奥が対象エリアです。
右に見える切妻屋根で長屋のようにつながっている2階屋は、もしや…、
このスタイル…
同潤会による建設当初からの建築ではないかなと思われます。
大正14年、124戸のうちの数個でも残っているのは奇跡かもしれないなと思いました。
ブロック塀はちょっと残念な印象ですが、下屋と2階の乗せ方については、
住棟間の日照等を考慮しているようにも感じました。
横浜市内ではその後、
昭和2年に山下町と平沼町にアパートメントハウスをつくりましたが、
現存していません。
現存する同潤会アパートメントハウスは、上野下アパートたった一つになってしまいました。
その上野下アパートも建て替えが検討されているとのことなので、
当初からのアパートメントの存続は、風前の灯といった状況といえるでしょう。
そんな中、震災復興の理念を持って計画されてきた
同潤会の戸建て、もしくは賃貸普通住宅たちの今に、
もっとスポットが当たっても良いように思います。
この大岡住宅エリアもそのほとんどは、残像も無く、
建売住宅として建築中の現場もありました。そうして歴史が風化してしまうのでしょう。
実はこの大岡住宅は、ロケーションにミソがあるように感じました。
旧鎌倉街道から1本入ったところで、西に河川、東に大きな丘、
横浜港湾地域から比較的近く、南太田が震災後そうであったような、
貧困化などの問題も抱えていたのではないかなと…、
隣接した場所には、古くからの商屋さんなどの残存があり、
そうした地域の方々の協力があってのドラマがあったのではないかな…
などまったくの空想ですが、そんなことを考えながら歩いてきました。
最後に隣接したところに残る、洋館付き住宅などの写真をのせてみます。
他の横浜・川崎の同潤会の戸建て、賃貸普通住宅のあった地域も
残像探しに歩いてみたくなりました。
南太田、滝頭、井土ヶ谷、新山下など、、、。
川崎の大島の勤人向け分譲については、こちらでコメントしてみましたので観てみて下さい。
by S.小野
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